寿司栄/SUSHIEI

お寿司の面白い豆知識いろいろ

ここではお寿司にまつわるの豆知識のご紹介をします。

寿司用語
あがり・・・お茶の事です。
 なお、今来たばかりのお客様に出すお茶は、「おでばな」、帰りの客に出すお茶は、「あがり」というのが正しいそうです。

むらさき・・・お醤油の事です。
この呼び名は、色からきてるといわれています。醤油にはいろんな種類があります。関東地方は、塩分濃度の強いさらっとした醤油が好まれ西の地方へ行くほど 塩分濃度の弱いドロっとした醤油が好まれています。この違いは、昔の関東と関西でのお米味が関係していると いわれています。

ガリ・・・しょうがの甘酢付けの事です。
噛むとガリガリいうところからきたようです。昔は長崎産の しょうがを削ってつかっていました。現在では、日本産の生姜はあまり使用されず、繊維が細くて おいしいタイ産の生姜芋を 使うことが多くなっています。

シャリ・・・寿司飯の事です。
仏舎利からきていると言われています。

ネタ・・・寿司のシャリの上に乗ってる食材の部分です。
近年いろんなものがネタとして使われています。 アボガドをはじめ、カルビやトントロなどお肉を乗せた寿司もあるくらいです。

ナミダ・・・ワサビの事です。
ききすぎると涙がでるからと言われています。

あがりの由来
すし店では、お茶のことを「あがり」と言いますが、これはもともと花柳界の縁起をかついだ用語でした。
昔、お茶の葉は粗製のままのものを買い、自家の茶臼で挽いていました。このお茶を挽く仕事は、花柳界ではその日売れ残った芸者の仕事でした。
 そこで売れ残りを「お茶ぴき」と言うようになり、お呼びのかかった芸者は、「おあがりさん」と言ってお座敷にあがることができました。このことから「お茶」という言葉は、売れ残りを指す縁起の悪い言葉であると捉えられたので、お茶のことを縁起を担いで、あがりというようになりました。(すり鉢のことを、あたり鉢というのと同じです。)

「肴(さかな)」の由来
 遠い昔、海のない地方では生物(魚)が食べられず、乾物を食べていました。畑仕事をして帰った男達に、妻は酒のつまみとして畑で取れた菜を中心に出していました。これが酒菜(サカナ)です。
「肴」とは、つまり酒のつまみのことです。
ところが現在「サカナ」と言えば、「魚」のことです。なぜそうなったのかということについて、以下のような話があります。
昔々、山育ちの男が海のある地方に出かけ、酒菜に生の魚(刺身)が出てきて驚いた。『これは美味い』。そして山育ちの男は、生の魚を本物の酒菜と言い真菜(マナ)と言ったそうです。こんなところから刺身を切る板を真菜板(まな板)と言い、刺身を盛る箸を真菜箸(まなばし)と呼んでいるとのことです。

「魚のシュン」の由来
シュンは、漢字で旬と書きます。
旬とは中世の昔から毎月、月初めに行われた「その時季にとれた一番おいしい野菜や魚を朝廷に献上した行事」のことです。
時代の流れで4月と11月の2回となったとも言われています。
 その名残で、そのものの一番おいしい時季をシュンと言うようになりました。シュンのものを食べると体が強くなると信じられていたようで、無病息災を願う意味でも季節の一番おいしいものを頂くという風習があったようです。
そして、魚介類が一番美味しいは、産卵前の脂肪の多いときです。その時季をシュンと言います。産卵のために、盛んに餌を食べて魚体が充実し魚類によっては脂肪がのってくるからです。

すし屋の湯呑みが大きい理由
昭和の頃、戦前まで残っていた寿司屋の屋台では、人手不足と水不足の為に、一度出したお茶を長く飲んでもらう必要がありました。
それで大きな湯のみを使うようになったのが由来です。

寿司の誕生
お鮨という料理が誕生したのはいつでしょうか?
まず、米に酢を使う風習は東南アジアの山地から発祥したと言われています。
お寿司は元々は保存の為、米の中に、内臓を処理した塩漬けの魚を入れて発酵させた「なれずし」という食べ物でした。
起源は、紀元前4世紀頃の東南アジアといいますが、そこでは米を捨てて魚だけを食べていたといいます。
そして、この「なれずし」が中国を経て8世紀頃に日本に渡ってきます。ここで日本人は、この米を捨てずに一緒に食べ、 室町後期には「生成ずし」というスタイルが定着しました。ここで、寿司は保存食から料理へと変わっていくのです。

生成ずしから早ずし、そして現在へ
江戸時代になると、魚の鮮度が感じられるように調理し、日本独特のご飯そのものをおいしく食べる「早ずし」へと変わっていきます。
自然発酵を待たずに、ご飯に酢を混ぜ、魚だけでなく野菜・乾物なども用いて作りました。 この形態は、いまでも日本の各地で、その土地の産物と強く結びついたものとなっています。
なお、江戸時代に誕生したといわれる現代の握り寿司のルーツとなるもの遠く紀元前まで遡ります。 江戸時代以前は、寿司の見た目は現代のように整っていなく、押し寿司のようなものが主でした。
当時の寿司は現代の握り寿司に換算すると9貫ほどもある多量の米に多種類のネタを乗せたもので、"一貫鮨" とも、言われる大変大きなものであったといいます。
江戸時代になり、この鮨を食べやすく小分けにした今の握りずしの原型ともいえる寿司が現れてきます。
明治時代にはいると企業化された製氷のおかげもあり、寿司屋でも氷が手に入りやすくなります。
明治時代の末には、近海漁業の漁法や流通の進歩、電気冷蔵庫を備える店も出てきたこともあって、生鮮魚介を扱う環境が格段によくなります。
そして、1923年の関東大震災により、被災した東京のすし職人達が故郷に帰り、日本全国に拡がっていったのです。 1980代には、アメリカでは、魚と米で作った寿司は、健康に良いとされ、"SUSHI・ブーム"が起こり、SUSHI・バーまでできました。
 

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